広島生健会について

広島県生連の再建から現在まで 
会長 大平俊子

月間生活と健康』より抜粋(2025.3.15全国生活と健康を守る会連合会発行)

1997年再建

広島県生活と健康を守る会連合会県(広島県生連)は1997年7月に再建されました。なぜ再建かというと、それまで「広島県生連」は事実上崩壊状態だったからです。その後、広島全県の仲間たちが全国の県連と肩を並べられる広島県生連にするためにと、一丸なって奮闘しました。その中心となったのが前会長の日下健二さんです。並々ならぬ決意と覚悟で臨んだと伝え聞いています。


広島県内に15の単組

生活と健康を守る会生(生健会)は「一人はみんなのためにみんなは一人のために」のスローガンを掲げて活動しています。県内の単組は、広島市内の南区、中区、東区、佐伯区、西区、安佐南区、広島北、安芸。県内では呉市、尾道三原、福山、廿日市、府中、東広島市、県北、準備会・大竹、以上の生健会です。

相談活動の百貨店

日常的には、医療、介護、年金、生活保護、住宅、平和、高齢者福祉、細かいところでは、夫婦・家族間のトラブルなど、多種多様な相談事に乗っています。「相談活動の百貨店」と言われることもあります。生健会は、制度づくり、人づくり、地域づくりに加え、国づくりという大きな目標を目指します。制度や法律では助けられない社会の隅っこに追いやられている人たちに光を当て、人間らしく生き人間らしく生涯を終われるよう、日々会員や相談者当人と一緒に行動します。取り組みを通じ「生きる勇気、楽しみ」を取り戻し、生健会の仲間となってもらい、共に社会を変える力を大きくしていきます。そのために、各単組では街頭宣伝、班づくり、学習会、署名運動など旺盛に取り組んできました。それぞれの単組は一人ひとりの会員に寄り添い続けて組織を維持してきています。

新会長のもと新しいスタート

2020年6月の第24回県生連定期総会で、私(大平俊子)が日下前会長の後任となり会長に就任しました。会長の器でもない私が引き受けようと思ったのは、現状での日下さんに求められる役割が、はたで見ていてあまりにも多忙で激務なのを見かねたというところでした。この間の5年間(2025年現在)は筆舌に尽くしがたい苦難の道のりとなりましたが、まずは会長として県生連という組織の崩壊を押しとどめられたことで、とりあえず次に進めるスタート地点に立てたと思っています。


行政に「敵対」ではなく「協力」貫く

各単組では福祉行政に要望書を提出して懇親会を行い、会員からあげられた切実な状況を訴え、制度改善を要求します。地方自治体で直接対応する各役所に対しては、国の言いなりや冷たい対応には率直に批判し改善を要求しますが、「敵対関係」ではなく、「協力して解決する立場」を貫いています。高齢化が進み深刻化する生活苦や、多面的で複雑な問題が絡まり合って行き詰まり、当局から生健会へ問題解決の依頼が舞い込んでくることもあります。定例化している要望書提出と懇談会は、相互に信頼し合う関係が育てられたと受け止めています。


孤立から連帯へ

生健会のスローガンである「孤立から連帯へ」をもつと推し進め、「独りぼっちをなくそう」を合言葉に、各単組では平和映画会や食事会、焼き肉パーテイー、年末餅つき、新春の集い、日帰り温泉旅行など楽しい行事を計画していきます。インターネットやSNSが主流になりつつある昨今、資本主義社会が続く限り生健会の出番はなくなりません。知恵と工夫を出し合って今を乗り切り、広島県生連を再度軌道に乗せ、前進への流れをつくり出せるよう頑張る決意です。